第11章|コードの歴史

最後にひとつ、驚いてほしい事実があります。
コードは、最初から存在していたわけではありません。人類の音楽の歴史のうち、大半の期間、ハーモニーというものはありませんでした
いまあなたが当たり前に使っている CAm は、1000年かけて少しずつ作られてきた発明品なのです。この章では、その物語をたどります。

紀元前〜9世紀|ハーモニーのない世界

古代ギリシャにも、中世ヨーロッパの教会にも、和音はありませんでした。歌はすべて単旋律(モノフォニー)——全員が同じメロディを、同じように歌う。それが音楽でした。

グレゴリオ聖歌がその代表です。伴奏もなく、拍子すら明確ではなく、ただ言葉と旋律だけがある。「音を重ねる」という発想そのものが、まだなかったのです。

※日本の伝統音楽も同じで、雅楽や民謡は旋律と「間(ま)」が主役。西洋的な機能和声は使われませんでした(笙のように和音を出す楽器はありますが、役割が異なります)。ハーモニーは、決して人類共通の必然ではなかったのです。

9世紀|オルガヌム — 最初のハーモニー

転機は9世紀ごろ。聖歌を、5度(または4度)違いで平行に重ねて歌うという試みが始まります。これをオルガヌムといいます。

なぜ5度だったのか。第1章でやった倍音を思い出してください。5度は振動数の比が2:3で、いちばん自然に溶け合う音程です。だから最初に選ばれたのは、必然でした。

1100年後に、そっくり復活しました

ルートと5度だけの和音——現代ではこれをパワーコードと呼び、ロックやメタルの根幹になっています。3度がないから、歪ませても濁らない。中世の修道士とヘヴィメタルのギタリストが、同じ響きを選んでいるのは面白い偶然です。

12〜13世紀|声部が独立し、音楽が「立体」になる

パリのノートルダム大聖堂を中心に、重ねる声部が別の動きをするようになります。平行に動くだけだったものが、それぞれ独自の旋律を持ち始めた——ポリフォニー(多声音楽)の誕生です。

ここで初めて、音楽は横(メロディ)だけでなく、縦(ハーモニー)を持つ立体になりました。ただし当時、縦の響きはまだ「結果」にすぎません。作曲家が考えていたのは、あくまで複数の旋律をどう組み合わせるかでした。

13〜15世紀|3度が「きれいな音」に昇格する

ここが、コードの歴史でいちばん大きな転換点かもしれません。

中世の理論では、3度は「濁った音(不協和音)」とされていました。使ってよいのはオクターブ・5度・4度だけ。ところが13世紀ごろから、イギリスの民衆音楽で3度を重ねる習慣が広がり、それが大陸へ流入します。

3度が仲間入りしたことで、ついにルート+3度+5度=三和音がそろいました。第1章でやったあの形が、ここで完成したのです。

3度が加わった瞬間の変化を聴く

音楽に「明るい/暗い」という感情が生まれた瞬間です。それ以前の音楽には、この区別がありませんでした。

16世紀|ルネサンス — 対位法の完成

ジョスカン・デ・プレやパレストリーナの時代。複数の旋律を美しく組み合わせる技術=対位法が頂点に達します。

この時代の音楽は、たしかに豊かな和音が鳴っています。しかし作曲家は「コード進行」を考えてはいません。あくまで旋律を積み重ねた結果として、和音が生まれていたまだコードは「主役」ではなかったのです。

1600年ごろ|通奏低音の発明 — コードネームの誕生

そして決定的な発明が起こります。バロック時代の幕開けです。

オペラの誕生とともに、「複雑に絡み合う声部より、一本の歌をはっきり聴かせたい」という要求が生まれました。そこで考え出されたのが通奏低音(バッソ・コンティヌオ)

通奏低音=コードネームの直接の先祖です

楽譜に書かれるのは低音の音符と、その下の数字だけ。演奏者はその数字を見て、その場で和音を組み立てて弾く。数字は「低音から何度上の音を重ねるか」を表します。

  • 数字なし → ルート・3度・5度(=基本形の三和音)
  • 6 → 第1転回形(=現代でいう C/E
  • 7 → 7度を足す(=現代でいう G7

「低音+記号を見て、その場でコードを弾く」——これは現代のコードネームとまったく同じ発想です。ジャズのピアニストやバンドのギタリストがやっていることは、400年前のチェンバロ奏者と本質的に同じ。ここでついに、和音が「主役」になりました。

1722年|ラモー『和声論』 — 理論が生まれた年

フランスの作曲家ジャン=フィリップ・ラモーが、音楽理論の歴史を変える本を出します。彼が持ち込んだ革命的な考えは、次の2つでした。

ラモーの2つの発明
  • ①和音には「根音(ルート)」がある … それまで和音は「積み重なった音の集まり」でしかありませんでした。ラモーはすべての和音に中心の音があると考えました
  • ②転回しても、同じ和音である … ド・ミ・ソミ・ソ・ドソ・ド・ミ は、並びが違うだけで同じ和音。第2章でやった転回形の考え方は、ここで生まれました

この2つがそろって初めて、「コードネーム」という発想が可能になります。並べ方が違っても、ぜんぶ C と呼べる——第1章の最後で説明したあの話は、300年前のラモーに由来しているのです。

18世紀|平均律の普及 — どの調へでも行けるようになる

それまでの調律法では、特定の調はきれいに響くけれど、別の調はひどく濁るという問題がありました。だから自由な転調はできなかったのです。

そこで1オクターブを12等分する調律(平均律)が広まります。どの調もほんの少しずつ均等に不正確になる代わりに、すべての調が同じように使えるようになりました。

バッハが『平均律クラヴィーア曲集』で24の調すべての曲を書いたのは、この可能性を示すためでもありました。第4章で見た「15の調」と「五度圏」は、この技術革新の上に成り立っています。

18〜19世紀初頭|機能和声の完成

ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの時代。T(トニック)→ SD(サブドミナント)→ D(ドミナント)→ T という機能和声のシステムが完成します。

第5章でやった内容は、まさにこの時代に確立されたものです。「音楽には文法がある」という考え方が、この時期に完全な形になりました。

19世紀|拡張、そして崩壊へ

ロマン派の作曲家たちは、この完成した文法を限界まで押し広げていきます。半音階、遠隔調への転調、借用和音、増六、減七——第7章で扱ったノンダイアトニックの技法は、ほぼこの時代の産物です。

そしてワーグナー(第10章)が、解決しない和音を持ち込みます。緊張が緊張のまま次へ渡され続け、「帰る場所」があいまいになっていく

やがて20世紀初頭、シェーンベルクらは調性そのものを放棄します。12の音を平等に扱う十二音技法——中心のない音楽の誕生です。クラシックの本流において、コードは一度その役割を終えました。

同じころ、アメリカで — もうひとつの流れ

ところが、まったく別の場所でコードは生き延びます。アメリカ南部です。

アフリカから連れてこられた人々の音楽と、ヨーロッパの和声がぶつかり合い、ブルースが生まれました。そしてラグタイムジャズへ。

ジャズがコードに与えたもの
  • I7 という発想 … トニックにまで7度を足す。ヨーロッパの理論では「ありえない」使い方(第6章)
  • ブルーノート … 長短の中間の音。西洋の12音では書ききれない揺らぎ(第9章)
  • テンション … 9・11・13。積み上げて色を濃くする(第3章)
  • ツーファイブ … IIm7→V7 という定型を、あらゆる調で自在に使う(第5章)
  • 即興 … コード進行だけ決めて、あとはその場で作る。これがコードネーム表記を必須にした
コードネームは、こうして広まりました

20世紀前半、アメリカのポピュラー音楽の現場では「その場で伴奏をつける」必要がありました。楽譜を全部書く時間はない。そこでメロディ+コードネームだけを書いた譜面が使われるようになります。
通奏低音の数字が、アルファベットの記号に置き換わった——それが、いまあなたが読んでいるコードネームです。

20世紀後半|ポップスの時代

時期出来事コードに起きたこと
1930–40sスウィング四和音とテンションが標準に。ビッグバンドの分厚い和音
1940–50sビバップテンション・裏コード・複雑な代理が全面展開。理論の最先端がジャズに
1950sロックンロールスリーコードへの回帰。複雑さを捨て、リズムとエネルギーへ
1960sビートルズ以降ポップスに借用和音・転調・モードが流入。大衆音楽が高度な和声を持つように
1970sソウル・フュージョン
シティポップ
M7・9th・分数コードが日常語に。ドビュッシーの語彙がポップスへ(第10章)
1980–90sDTM・打ち込みコード進行がデータとして共有・再利用できるものに。「小室進行」などの通称が生まれる
2000s–インターネット
DAW・動画投稿
コード譜が世界中で瞬時に共有される時代へ。誰でも理論を学べるようになった

日本とコードの出会い

日本の伝統音楽には、西洋的な機能和声がありませんでした。コードが入ってきたのは明治時代です。

学校教育に西洋音楽が導入され、唱歌が作られました。このとき、日本語の歌と西洋の和声を結びつける工夫が必要になります。そこで多用されたのが、ファとシを抜いた5音(ヨナ抜き音階)でした(第4章)。

日本人の耳になじむ5音を残しつつ、西洋の和音を下に敷く。この折衷が、唱歌から演歌、歌謡曲、そしてJ-POPまで続く日本のポップスの土台になりました。第8章で見た「J-POPの特徴」の多くは、この出発点に由来しています。

1000年の年表

時期出来事コードにとっての意味
〜9世紀単旋律ハーモニーが存在しない
9世紀オルガヌム5度で重ねる。最初のハーモニー
12–13世紀ポリフォニー声部が独立。音楽が立体になる
13–15世紀3度の解禁三和音の完成。明暗の誕生
16世紀対位法の完成和音はまだ「旋律の結果」
1600年ごろ通奏低音和音が主役に。コードネームの先祖
1722年ラモー『和声論』根音と転回形の理論化
18世紀平均律の普及すべての調が使えるように
18–19世紀初機能和声の完成T–SD–D–T という文法
19世紀半音階の拡張借用・増六・減七。やがて調性が揺らぐ
1900年前後調性の解体/ブルース誕生クラシックは離れ、アメリカで生き延びる
20世紀前半コードネーム表記の普及即興のための共通言語に
20世紀後半ポップスの時代ジャズの語彙が大衆音楽へ
現代DAW・インターネット誰もが作り、共有できる時代
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そして、これから

いま、音楽制作の環境はまた大きく変わりつつあります。誰でもパソコン1台で音源を作れるようになり、コード進行を提案してくれる道具も増えました。

けれども、1000年かけて積み上げられてきたこの言語が、なくなることはありません。なぜなら——

結局、決めるのは人間の耳です

3度が「明るい」と感じられるのも、V7が「帰りたい」と感じられるのも、人間の耳と脳がそう反応するからです(第1章の倍音の話を思い出してください)。
道具がどれだけ進化しても、「いい」と決めるのは聴く人の耳。だから理論を学ぶことは、自分の耳が何に反応しているかを知ることでもあります。それは、いつの時代でも古びません。

第11章のまとめ

この章で分かったこと
  • 人類の音楽の大半の期間、ハーモニーは存在しなかった
  • 最初のハーモニーは5度(倍音がいちばん近いから)=現代のパワーコード
  • 3度が解禁されて、音楽に「明るい/暗い」が生まれた
  • 通奏低音(1600年ごろ)=コードネームの先祖。和音が主役になった瞬間
  • ラモー(1722年)が「根音」と「転回形」を発明し、コードネームが可能になった
  • 平均律で全調が使えるようになり、機能和声が完成した
  • クラシックが調性を手放したあと、ジャズがコードを引き継いだ
  • 日本は明治にコードと出会い、ヨナ抜き音階との折衷から独自のポップスを育てた

長い旅も、いよいよ終わりです。
次の第12章は用語辞典とQ&A。分からない言葉が出てきたときに戻ってこられる、この12章ぜんぶの索引としてお使いください。

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